light on ayurveda
今日は 上級アーユルヴェーダの講座を広尾の Be Yogaさんで
務めさせていただきました。
その中でもお話したこと、ちょこっとメモ。
アーユルヴェーダやヨガ 健康について学ぶと
その「理想」と「自分」を照らし合わせてしまって
出来てない自分が嫌になってしまう
っていう話を聞くことがありまして。
ヨガでも全く同じことが言えるんだけど。
何かを学ぶとき、ついつい、
自分の外側に なにか素晴らしいものが
存在しているっていう前提があって
頑張る/取組む/欲求を我慢する/犠牲を払う
ことによって、その素晴らしいものに近づこうと
することがある。
そもそも、それを手に入れていないのだから、
それが素晴らしいものかどうかも、
本当は分からない。
(これは、ベロニカが言ってて目からウロコ)
今の自分は、これまでの自分の意識的/無意識的に
とってきた選択肢の結果で、このようにあって、
大体の人が 忙しい中でも その時の自分がとれる
ベストの選択肢を選んで、来たのだから、
まずは、前提として 子育てで優しくなれない「わたし」
甘いものを食べ過ぎてしまう「わたし」
なんだか周りの人に素直になれない「わたし」
そのままの「わたし」にまずは大きな丸をつけて、
そこから いまのわたしを より調和的な方向に
開かせる、単なるツールとして アーユルヴェーダやヨガと
付合っていけば良いのじゃないかな?って思っています。
インドで4000年前に生まれて、
世界最古の科学的な医療体系としてWHOにも認定されている
アーユルヴェーダだけど、
それ自体 活用されることが無ければ
ただのウンチクの集合です。
ヨガだって、インドの行者さんみたいに
すべてを捨てて 家族を捨てて 社会から解脱したいと
思ってヨガしてる訳でも(多くの私たちは)無く。
知識は 自分が役立てることによって初めて
それが有用なものかどうか検証される。
なので、 完全に 本などで見るアーユルヴェーダの
ルールを守れなくても 気にしないで、
ちょいちょい良いところ取りするような
気楽な気持ちで、肩の力を抜いて、
取り入れやすいことー
白湯飲みとか、オイルマッサージとかから
始めてみると やりやすいと思うのです。
いつも、主役は自分自身。
どんな健康法も、息苦しくなるようなやり方で付合うもの、
これは、絶対 どんな時も こうじゃなきゃダメ
っていうようなルールは、「本当かな?」って
疑ってみても良いと思うのです。
その健康法を、自分を輝かせる 子分のように
使ってやる!くらいの自信たっぷりな気持ちで
ヨガでも、アーユルヴェーダでも、メイクでも、
楽しくやってみたら
すべては 花丸です。
春の季節で、わたしの頭の中もお花畑になっているようです。
読んでくれた 皆さんも、それぞれの場所で
花の美しさを愛でるひと時が持てますように。
あなたに、今、見られることによって、
その花は 存在しています。