ヨガ・ボディ ポーズ練習の起源
何回かクラスやWSなどで紹介してきた
「ヨガ・ボディ 〜ポーズ練習の起源〜」 の邦訳
(マーク・シングルトン著)が
関西学院大学 喜多千草先生による訳で発売になりました。
スワミ・サッティヤナンダ先生、パタビ・ジョイス先生、
そして先日アイアンガー先生も亡くなられて
これから10年かけてヨガの表向けの姿は
どんどん多様化していくと思う。
東日本大震災のあと、瞑想をする人達が本気になった
と書かれたのは、今年読んだ本の中で印象深い
「青空としてのわたし」を記された山下良道さん。
世界を一つの大きなマーケットとして捉え、
一人一人の人が大切な命だということを軽んじてきた結果
あちこちで生じている痛み。
いつの時代を生きる人も、特有のテーマを抱えているものだけど
この痛みを自分のこととして受け取っている人は
昔ながらの「悟り」に向かっての本気☆ヨガに
惹かれるかもしれないし
ヨガがメジャーになっていく過程の中で
肩こりや腰痛、月経時の不調等の身体の悩みや
精神的な悲しみや喪失感なども含めた
そういう身近な不調和に寄り添っていくような
実用的なヨガも、ごく一般の、より幅広い層の人へと
広がっていくのかな。
それも含めて、ヨガ・ボディを読むと
いわゆる偉大なヨガの師と呼ばれる人達も
イギリスの統治下にある植民地時代のインドで
その時代のリクエストにあった形で
ヨガを教えていたことが分かって、
唖然としたり 腑に落ちたりします。
昨日は、赤ちゃんと一緒に過ごせる産後ヨガのクラス
一人の赤ちゃんがお昼寝して、
もう一人の赤ちゃんを私が抱っこしながら教えていたら
次第に落ちついた 奇跡みたいな静寂が広がって
ママ達の浮かべる気持ち良さそうな表情
90分中、なんと50分も静かにヨガの練習ができた!
目覚めた赤ちゃんが のびのびしている姿
むちむちの腕のシワをさわらせてもらったりしていると
ヨガは「ジャジャーン!」と厳粛にすすむものに限らず
これでも良い これが良い って思うのです。